矢野徹死去の報でパソ通時代を回顧
- 作家の矢野徹さんが死去 (10/13、朝日)
矢野徹氏の訃報を見て真っ先に頭に浮かんだのは氏の本業(作家・翻訳家)のことではなく、パソコン通信のコンプティークBBS(角川書店)のことであった。以下、それについて書く。だからカテゴリは「本」ではなく「ネット」にしておく。(氏が翻訳家として日本SF界の発展に多大な貢献をしたことは間違いないが、作家としては、えー、私は2、3冊しか読んだことがなくて、うー、まああれだ、それについてはね、いずれまた別の機会にね、訃報に接して語るようなことではないからね。)
私はコンプティークBBSはゲストとしてワッチしていただけなのだが、矢野氏が主宰する(シグオペをつとめる)「狂乱酒場」はなかなか読みごたえがあった。話題が時事問題、特に外交、軍事に及ぶとかなり右寄りというか憂国的な氏のスタンスが露わになり常連が呼応して盛り上がるのだが、白熱してくるとリベラル派常連(数は圧倒的に少なかった)がやんわり制止して暴走を抑える、というきわどい平衡が成立していて見物であった。それもある時期までのことだが。
コンプティークBBSで起こった運営スタッフによる不祥事、いわゆる「ロバの耳事件」*1を目撃したことは私のネット観に大きな影響を与えた。
仲良しが集まってムラを作るのはいいが、フタを閉じてはダメ。外から見えないCUG(closed users group)は、風(新人)を入れないといずれ空気が淀んで腐敗する。
教訓を得ても実践で活かすのは難しい。その後、数々のCUG、スタッフBBSに参加することになるが、スタッフとしての気負いや、気心の知れた少数のメンバーしかいないという油断で何度か失策を犯している。クローズドな場での出来事なのでここには書かない。
矢野氏の訃報に接してあれこれ回想が頭の中をぐるぐる飛び回ったのだが文章に書き止めようとしてもほんの一部しか形にできない。ってことで尻切れだがこれにて終わり。