そいとごえすの退避ブログ

2019-02-21 はてダから移転。

高市大臣の経歴(2)

高市早苗 i Wikipediaには高市議員の経歴自称に関する記述がある。


1987年アメリカに渡り、左派リベラルでフェミニスト運動の急先鋒だった民主党のパット・シュローダー下院議員の個人事務所でインターン同様のフェロー(無給、雇用関係なし)として勤務する。
1989年に帰国し、元米国連邦議会立法調査官・議会スタッフと自称し、また「立法政策研究センター専門研究員」という肩書を名乗り、講演や執筆活動を通じて、マスコミに注目され始めた。


「無給・雇用関係なし」って……手弁当のボランティアか。それで「立法調査官」を詐称しちゃあまずいよなあ。


所属政党変えについて(2007-06-08 追記)

安倍内閣閣僚名簿@首相官邸高市大臣略歴では以下のようになっている。


略歴
昭和59年 3月 神戸大学経営学経営学科卒業(経営数学専攻)
  59年 4月 財団法人松下政経塾
  62年 10月 米国連邦議会Congressional Fellow
平成 元年 9月 日本経済短期大学助手
   5年 8月 衆議院議員
   9年 1月 自民党建設部会副部会長
(以下略)


これは自己申告をそのまま掲載しているのだろうなあ。「62年 10月 米国連邦議会Congressional Fellow」と時期を明示している分、公式サイトのプロフィールよりもましだが、しかしこの書き方だと3年間米国連邦議会で働いていたかのような印象を受ける。そして、平成8年(1996年)に新進党から出馬し当選したことは省略し、翌平成9年の自民党役職名を挙げている。まるで初めから自民党所属だったかのように。
上のエントリーで書いた「党籍の変遷(新進党自民党)に一言もふれていないのは不誠実だ」というのは今となっては意味がわかりにくいかもしれない。政党を次々に渡り歩いている政治家は多いが高市早苗の所属政党変えは一度だけ。なぜそこにこだわっているのか? 
Wikipediaにちょうどいい記述があるので引用して説明にかえる。


1996年10月、第41回衆議院議員総選挙では新進党公認で立候補し、2回目の当選。しかし、この選挙で新進党は敗北し、選挙後、自民党幹事長の加藤紘一からの引き抜きに応じ、11月5日に高市新進党を離党し2日後の総理大臣指名選挙では自民党総裁橋本龍太郎を支持。12月27日、自民党に入党。新進党の公認候補として反自民票を集めての当選であっただけに、その直後に離党し自民党総裁たる橋龍を総理大臣指名選で支持した事は「有権者に対する裏切り」と非難を受けた。