そいとごえすの退避ブログ

2019-02-21 はてダから移転。

浅田次郎など

最近読了した本。甘口のばかり読んでいる。

女性向けスイーツ。災厄を予感させる不穏な語り口で肩透かしの展開が繰り返される。恩田陸の『六番目の小夜子』を思い出した。本作はハートウォーミング系でホラーじゃないんだが。

表題作が一番出来がいい。とは思うものの、映画版の高倉健広末涼子の印象が強烈すぎて正しく評価できない。解説の北上次郎によるとこの短編集の支持者には「鉄道員」派、「ラブ・レター」派、「うらぼんえ」派がいて、北上は「角筈にて」派であるというのだが、他の派はともかく「角筈にて」がいちばんというのはさっぱり理解できない。

ハナからテレビドラマ化を狙ったような軽いノリ。しかし個々の「泣かせ」描写は実に達者。

本格歴史物のつもりで読んでいたら文庫2巻目あたりで西太后が『椿山課長の七日間』の軽薄ノリになってビックリ。李鴻章など無謬の超越的偉人キャラに設定されていて、ある意味すごい。ある意味ってどんな意味だ。数分おきにアクションシーンが入るハリウッド映画のように一定間隔で「泣かせ」エピソードが配置されている。長編としての結構は弱い。

エッセイ風の書き出しから幕末エピソードに繋げる連作。甘口。

「二十番斬り」がシリーズラス前、「浮沈」が最終巻。ともに長編。「剣客商売」は概して長編の出来がよくない。


甘口でないのも一冊あった。

ビター。しかし青臭い。


 律子が工也に向かって言った。
「私、あなたと同じような足を持ってるイギリスの歌手を知ってるわ。日本じゃレコードも発売されない歌手だけど。スティーヴ・ハーリィって知ってる?」
「知ってるさ。洪水が原因で片足を悪くした奴だろう? レコード全部持ってるよ。」
「私も。今となっては恥しくて聞けないけれど、七三年の『セバスチャン』は悪くなかったわ。」
(中略)
「あなたは知らないの?」工也が麻希子を見た。「じゃあ今度持って行ってあげる。歌詞がとてもいいんだ。悲痛な恋の歌だよ。」
「そう。サムバデイ・コールド・ミー・セバスチャンというフレーズは泣ける。」律子も同調した。「聖セバスチャンを下敷きにしているようよ。だからとても被虐的な色の濃い歌になってるわ。聖セバスチャンって言うとあなたにとってもアイドルでしょう?」


松浦理英子『セバスチャン』、河出文庫、p.118-119)


コックニー・レベルの「悲しみのセバスチャン」については4年前にちょっと書いたことがある。(よく聴く、または思い入れのある5曲
さらにそれ以前に雑文サイトでもうちょっと詳しく書いたこともある・・・・・・と記憶していたのだが、雑文サイト内を検索しても見つからない。HD内を探してみたら草稿があった。途中書きで放り出してサイトにはアップしてなかったようだ。
エントリーを分けてここにアップしておく。

追記(06-07)

松浦理英子の『セバスチャン』から唐突にコックニー・レベルの「悲しみのセバスチャン」に話が飛んで繋がり不明となっていたので、『セバスチャン』からの引用を挿入しておく。