そいとごえすの退避ブログ

2019-02-21 はてダから移転。

唐沢俊一の清水正紹介

引越し以来放置していた段ボール箱を数個開梱。探し物は見つからなかったが個人ブログから文章を盗用した上、発覚後の対応のまずさですっかり評判を落とした唐沢俊一『トンデモ怪書録 僕はこんな奇妙な本を読んできた』(光文社)(1996年8月刊行)が出てきた。買ったのは覚えているが中身に関する記憶はない。未読のまま書棚に埋もれていたのかも。
書名の「トンデモ怪書録」はと学会「トンデモ」本シリーズ人気にあやかったもので、副題の「僕は〜」は立花隆の話題作『ぼくはこんな本を読んできた』の便乗だな。つまりまあ、長ったらしい書名全部が便乗ネタ。
パラパラめくってみたら意外な名前が出てきたので書き留めておく。

『パソコンが嫌いな人のための超入門』安芸智夫/動くパソコン

検索してみたところ著者の安芸智夫は「サイバッチ!」の中の人と同一人物であった*1唐沢俊一は本書の中から超初心者ユーザーの勘違い事例を取り上げて笑いネタにしているが、基本的に普通のハウツー本らしい。1995年頃の安芸智夫はまっとうな仕事をしていたのだなあ。

宮沢賢治を解く「オツベルと象」の謎』清水正/カルト作家・宮沢賢治

清水正は、「毒蛇」こと山崎行太郎2ちゃんねる文学板で暴れていた頃に山崎スレでたまに名前が出ていた。というのも、文学板清水正スレを立てて清水氏を愚弄する投稿を繰り返した挙句、尻に火がついて慌てて「山崎義明」名で削除依頼した人物が山崎行太郎と酷似していたから*2。この件については当ブログ内で「清水正」を検索・参照されたい。

『トンデモ怪書録』は項目名として清水氏の著書を立てているが紹介は7ページ中3ページで、2ページは別人の本の紹介に割いている(桑原啓善『宮沢賢治の霊の世界』)。唐沢俊一による紹介は興味深いものだった。要約せず資料としてそのまま引用しておく。
(カルト化される作家の作品には「読者一人一人による、超個人的な読み込みが可能」という特徴がある、という前フリに続いて清水氏の著書紹介へ。)


 (略)早い話が、書店に数多くならぶ宮沢賢治研究本の中には、そのような過剰な入れ込みの結果、すさまじいまでに独創的(好き勝手)な読み方をしてしまっているトンデモなものが少なくないのである。
 たとえば、鳥影社という出版社から刊行された、清水正宮沢賢治を解く「オツベルと象」の謎』という本がある。著者は日大芸術学部助教授で、ドストエフスキー宮沢賢治の研究が専門らしい。
 著者はこの本の中で、まず『オツベルと象』を仏教的テクストとして読み解いていくという試みをしている。賢治は法華経へ熱い傾倒を示してきた作家であるから、この分析にはさほど無理はない。ところが、著者はさらに、作品にはユダヤキリスト教グノーシス派の影響が見てとれる、と言い出す。ここらへんから、著者の読み解きは、とても一般読者のついていけるものではなくなってしまうのである。
 著者がキリスト教的文脈を『オツベルと象』から読み取る理由は、菩薩の化身として描かれている(これも著者独自の分析なのだが)白象が、助けを求める相手がサンタマリアであることによるのだが、ここから著者は、
「すぐに想起したのは隠れキリシタンである」
 と断じ、鬼塚五十一*3(これまたトンデモ本研究家にとってはうれしい名前だ)の著書『戦慄の聖母予言』(学研)から江戸時代のキリシタン殉教の模様を延々と引用し、白象と隠れキリシタンを重ね合わせようとする。そればかりかキリシタンに加えられたと同じ拷問がオツベルによって白象に加えられたと見るのでなければ、この話はリアリティを獲得できない、と自らの見識に陶然となりながら断言する。
 著者は、作中に月の使いとして登場する赤衣の童子を、実は菩薩の仮の姿である白象の心の内なる悪魔の使いであると看破し、白象が自力救済を果たそうとせず、この童子の力を借りて仲間の助けを呼んでしまったことでこの作品は菩薩行の実践の物語として不明瞭なものになってしまっている、と不満を言う。
 普通、自分の立てた仮説が実際の作品にうまくあてはまらないのなら、それは仮説の方が間違っているのではないか、と考えるのが一般的だと思うのだが、もう、この著者ほどのレベルになると、作品の方にその責めを負わせて平然としているのである。こんなに読み込んでやっている自分の考えに反するなんて、まったくわからん作家だ、という風に。
 「衆生済度のために我が身を犠牲にするどころか、我が身救出の手紙を書いてしまったのだから、もはや菩薩としては弁解しようもないだろう」(同書49ページ)
 ……そう言われてもなあ(笑)。
 著者のすべてを見通す目は、『オツベルと象』の冒頭の脱穀機の音「のんのんのんのん」に水木しげるの『のんのんばあ』*4でご案内の“神様、仏様”という意味を読み取り、白象の泣く「しくしくしくしく」という泣き声に“四苦四苦四苦四苦”という仏教の根本である生病老死の四苦に対する嘆きを読み取るのである。そして、白象にそのような菩薩の姿を読み取れず、単にかわいそうな白象ちゃん、としてしか読んでいなかった読者たちを、作者・宮沢賢治の表層的演出にごまかされて本質を見抜き得なかったあわれな者ども、と嗤う(子供向けの童話なんだけどな……)。
 そして、
「こういった語り部の舞台構成演出は、まあ六十六年間は成功したと言えるだろう」
 と、作品が発表されてから六十六年目にしてそれを読み解いた我が身の慧眼を誇るのである。考えてみれば、幸せな人だ。
『僕はこんな奇妙な本を読んできた トンデモ怪書録』、唐沢俊一、光文社、p.92-95(ルビは省略)


む〜ん。清水氏の著書も「オツベルと象」も読んだことがないので判断保留して、検索してみた。

オツベルと象」はネットで読める。→「オツベルと象」
文芸評論家・清水正は、「深読みの帝王」なんだそうだ。→宮沢賢治 Kenji Review 第7号 1999.04.03


「オツベルと象」を読んでからあらためて唐沢俊一の紹介する“清水氏の解釈”を読むと、深読みというより……。む〜ん。清水氏の著書を読んだわけではないので感想は遠慮しておく。

トンデモ怪書録―僕はこんな奇妙な本を読んできた

トンデモ怪書録―僕はこんな奇妙な本を読んできた

*1:別冊 Mail Magazine Radica 1998年6月21日によれば「Radica」参加ライターの安芸智夫は『超入門』の著者。「Radica」で書いていた安芸智夫が始めたのが「サイバッチ!」なので、『超入門』の著者=「サイバッチ!」の中の人。

*2:山崎行太郎2ちゃんねるその他の掲示板で暴れ始めたのは2003年1月(IPで正体を特定されて一時撤退し本格的な「荒らし」を始めるのは同年秋から)。清水正スレが立てられたのは2004年5月、山崎監視スレで清水氏が話題になるのは同年8月以降。

*3:(原典の脚注)鬼塚五十一 映画、CM制作者を経てフリーライター陰謀史観により『ファチマ大預言は何を告げたか!?』(曙出版)などの著書がある。

*4:(原典の脚注)『のんのんばあ』 水木しげる作のマンガ。鬼太郎の祖母みたいなイメージの正義の味方「のんのんばあ」が妖怪を退治する。実際、水木氏が子供のとき、「のんのんばあ」というアダ名のお婆さんがいたとか。「のんのん」は仏様の意。